「茨木 カメラマン」で検索が引っかからない
こんにちは、hirakushashinの森脇です。大阪北摂・茨木市で広告写真・写真館・写真教室を運営するフォトグラファーとして活動しています。
しばらく事例や告知の投稿ばかりで面白みがないので、たまには読み物も書いてみようという気になりました。
カメラマンネタあるあるの、「カメラマンとフォトグラファーと写真家って何が違うの?」というお話です。
「茨木 カメラマン」
で検索すると、出てくるのは「出張カメラマン派遣サービス」ばかり。
茨木市にも個人・法人で何人もカメラマンはいるし、サイトもあるのですが全然出てきません。
検索にひっかかるか否かいうのは「SEO」の話で、派遣サービスを展開するような企業に比べると、個人や地場のサイトは出てきにくいというのは何となくわかります。
ちなみに、「茨木 フォトグラファー」で検索すると、派遣会社に続いてhirakushashinが4番目くらいに出てくるのですが、これは多分そう名乗っているのが他にあまりいないからでしょう。
競合が少ない分だけ、たまたま引っかかっているだけで、写真の質とか人気とはまた別の話。
でも、そんなところにも「言葉の違い」がじんわり影響してくるのが、面白いなと思いました。
(余談ですが「茨木 写真館」だと先輩が多いのでかなり遅れを取ってますが、競合が少ない「茨木 写真教室」だと1番。写真教室は大阪まで範囲を広げても出てくる)
そんなわけで今回は、「カメラマン」「フォトグラファー」「写真家」──、このあたりの呼び方の違いについて、あくまで個人的な感覚で書いてみようと思います。
カメラマンと呼ばれることのほうが多い
実際、現場で呼ばれるときはだいたい「カメラマンさん」です。
名刺交換でも「カメラマンの森脇です」と名乗っています。
その方が伝わりやすいし、短い。
フォトグラファーって言葉は、口で言うには少し長いし、聞く人によってはピンとこないこともあります。
広く「写真に関わる職業全体」を指す言葉として、「カメラマン」を名乗っています。
一般的観点での「カメラマン」と「フォトグラファー」の違いとは
カメラマン=目の前で起こっている出来事を、逃さず、正確に、忠実に記録する人。
それはブライダルかもしれないし、報道かもしれない。スポーツ、ライブ、舞台、あるいはスクールフォトもここに入る。
自分の個性や演出よりも、いつどこで何を撮ってるかという「時」と「場」を伝えることに責任を持つ職種。
フォトグラファー=さまざまな要素を「整えて撮る」ことに重きを置くイメージ。
クライアントがいて、意図があり、届けたい印象がある。それを写真という手段でかたちにする。
「写す」よりも「作る」感覚に近いのがフォトグラファー。
たとえばhirakushashinでいうと、広告写真や商品撮影では「フォトグラファー」、ファミリーフォトやイベント記録では「カメラマン」としての役割かもしれません。
ただしこれは確定した意味があるわけではなく、あくまでも人それぞれの認識で違うものだと思います。
名刺に「フォトグラファー」と書く理由
ではなぜ自分が名刺に「フォトグラファー」と書いているのかというと、そこには「光を扱う意識」があるからです。
“photograph=光で描く”であるということは言葉の意味としては学生時代から理解をしていました。
ただ、自分の中でそれが強く意識として根付いたのは、仕事を始めたばかりの頃のことです。
前職のデザイン制作会社に入社して間もない頃、ある文房具のイメージ撮影を任されました。
撮影を進め、写真をチェックしてもらった担当のアートディレクターに「全然あかん」の言葉に続きこう言われたのです。
「何やこのライティング。フォトグラファーっていうのは光の魔術師ちゃうんか!? ただ綺麗に撮ったらええわけじゃないやろ!」
2025年なら翌日から出社拒否しそうなダメ出し(笑)
でも20年ほど経った今でもこの言葉はずっと心に残っているのです。
アングルや商品の見せ方はディレクターやデザイナーも探すけれど、ライティングに関してはほぼフォトグラファーの技量に任される傾向の会社だったというのも、大いにあると思います。
そんな世界で15年間すごした結果、ストロボでも定常光でも自然光でも「光を自分の意図でコントロールしてこそ、フォトグラファーだ」という感覚が芽生えました。
ただシャッターを押すのではなく、光を読み、光を作り、光で表現する──
その意識が、撮るたびに自分の中に根づいていったように思います。
だから僕は、名刺に「フォトグラファー」と書いています。
では「写真家」とは何か
今回のテーマはこれまでにも何度も考えたことがあったのですが、フリーランスになった今あらためて考えると、写真家とは「何を撮ったとしても、その写真を“撮り手の人生”ごと評価される世界にいる人」というふうに思いました。
たとえばアートの世界では、それが前提です。
撮影の技術やクオリティの高さ以上に、撮った人の作家としての名前、思想、文脈が重要です。
建築の分野では有名な建築写真家が撮ることで、雑誌に載る・評価されるという世界があります。
広告写真でも、名前が知られている人たちは、個人の作品づくりを通して「この人に撮ってほしい」と思われる存在になっています。
うまく撮るだけでは届かない。名声は得られる一方で、非常にシビアな世界でもあると思う。
写真そのものに“その人らしさ”がにじんでいるかどうか。
それが、写真家と呼ばれる人たちの共通点なのかもしれません。
大阪・茨木のフォトグラファーでありカメラマン
「カメラマン」「フォトグラファー」「写真家」という言葉の違いに目を向けてみると、自分がこれまで写真とどう関わってきたのか、そしてこれからどう撮っていきたいのかが、少しだけはっきり見えてくる気がします。
この先、自分が「写真家」と名乗れる未来があるのかはわかりませんが、
もしそれで撮影費を3倍にしても発注をいただけるなら…がんばって目指していきたいと思います(笑)



